昭和49年(1974)12/26、インドネシアのモロタイ島のジ ャングルで中村輝夫を名乗る日本兵が発見される。中村 は台湾の高砂族で昭和18年11月に陸軍特別志願制度に応 募して一等兵となり、昭和19年7/12にモロタイ島に上 陸していた。しかし昭和20年3/5の戦闘で行方不明と なっていた。中村の本名はアスン・パラリン。昭和49年 時には55歳で� った。中村は多くの日本兵らと昭和30年 まで一緒に農作業などをして暮らしていたが、「こんな に大勢、一緒にいたのではアメリカ軍に見つかる」と1 人、ジャングルへと消えたのが最後だったという。中村 以外は全員、昭和30年に救出された。中村は終戦を知ら ず、楽しい時も悲しい時も「歩兵の本領」などを歌って 自らを励ましていた。
昭和50年1/8(1975)、中国名では李光輝という名前を 貰っていた中村は台北に帰国、妻と31年ぶりの再会を果 たした。中村の妻は再婚していたが、中村の無事を知った再婚 相手がこの日のために離婚をしていたので� る。中村は 1/9に故郷に凱旋、日本名、部族の本当の名前、中国 名と3つの名前を持つ中村以降、日本兵の出現は絶えて ないままとなっている。実際にはフィリピンのミンダナ オ島はじめ、現地の山奥で農民となってしまった日本兵 は相当数いたとされるが、当人が恥じて公に名乗るのを 嫌がるなどして実態はつまびらかではない。
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